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第3話 ショージ田淵<フィドラー>米国ミズーリ州ブランソン在住

夢を追い求めた青年は、皿洗いなどの下働きをしながら演奏活動を続け、やがて彼のフィドルの実力は評価され、プロとしてステージに上がるようになった。その後、有名なカントリー歌手のバックバンドに採用されたり、バンドメンバーと長いコンサートツアーに出たり、タブチの30代は旅の連続だった。
「キャンピングカーを自分で運転しながらのコンサートツアー。1日におよそ300マイル(480km)、ときには500マイル(800km) 以上も移動しながら演奏するんです。トラックストップで休みながら、1年間に少なくとも5万マイル近くは走っていましたね。3日間ステージに上がったのに 2日分しかギャラが貰えなかったり、ギャラの小切手が換金できなかったり、エージェントにギャラを持ち逃げされたり、そんなこともたくさんあったなあ。でも、こんなことはショービジネスの世界ではよくあること。演奏が評価されなかったわけではないし、こんなことで挫けていてはこの世界での成功なんて無い。アメリカにやって来た意味がありませんからね。」
こうしてタブチは、キャンピングカーを運転しながら演奏活動をするという生活がほぼ10年つづき、全米中を走り回ったという。
そうした中、バンドの仲間から「面白い町がある」と聞いて訪れたのがブランソンという。これから音楽の町として花開く可能性を秘めた場所だった。いまでは全米中にその名を轟かせる<ミュージックタウン>だが、当時のブランソンは、ここでミュージシャンとして名前を売ってメジャーになり、いずれは自分の劇場を持つ、というアメリカン・ドリームをつかもうとする若いミュージシャンたちのエネルギーが溢れていた。当時のタブチは、フィドラーとして全米ですでにある程度の地位を獲ていたが、そろそろ腰を落ち着けて音楽活動する場が欲しいと思っていた頃だった。タブチの心に「この町でやってみよう」という思いが湧き起こったという。
