メインメニュー
eBenkyoの記事を検索
インタビュー:松本 大 氏
|
プロフィール 松本 大 氏 マネックス証券 代表取締役社長 |
外資系キャリア講座は、終了致しました。多くの方々にご参加頂き、誠にありがとうございました。 |
| 1963年生まれ。1987年東京大学法学部卒。ソロモン・ブラザーズ・アジア証券を経て、ゴールドマン・サックス証券に入社。当時最年少でゼネラル・パートナーとなる。1999年、ソニーと共同でマネックス証券株式会社を設立。2004年にはマネックス・ビーンズ・ホールディングスを設立、代表取締役社長CEOとなる。 | ||

Q 1999年4月、松本さんが当時日本では数少ない個人向けオンライン取引専業の証券会社、マネックス(現在、マネックス証券)を設立なさって、すでに7年半が過ぎました。その間、市場の拡大と伴に会社も着実に成長し、現在では日本を代表するオンライン証券会社としての定評を得ています。起業なされた時は、成功する自信はあったのですか?
A いや、自信では起業はできないですね。自信で起業したという人がいたら、その考えは間違っています。起業というのはどんなに自信があっても、あたるも八卦あたらぬも八卦です。起業は自信でやるものではありません。少なくとも、私の場合は「やらざるを得ない」という形で、押し出されたという感じでした。
私にはもともと「英語もできない黄色人種」という大きなコンプレックスもあったわけです。そこから外資系のキャリアが始まった……。ところが、金融市場を舞台に努力して、結果を出したことで、名門といわれるゴールドマン・サックス証券でパートナーにしていただいた。当時、ゴールドマン・サックスのパートナーはせいぜい世界で100数十人しかいませんでしたから、欧米の経済界では一定のステータスがありました。たとえ英語が上手くなくても、その肩書きがあれば、「何かできる人」という評価を得られたんです。だから、もともとのコンプレックスを解消しても、おつりが来るぐらいの地位を与えてもらえた、と今でも感謝しています。
私を起業に駆り立てたのは、その金融業界に対して「今これをやるべきだ」という使命感ですね、自信ではなく。今後日本には個人向けのオンライン証券取引という業態が必要になるから、やるなら自分がやるしかない、と。勝てると思ってやったわけではありません。だって、先のことなんて、誰も分からないじゃないですか?

Q 東大卒の松本さんから、コンプレックスという言葉を聞くとは意外ですね。そういえば、松本さんが大学を卒業なされた1980年代後半は、外資系の金融機関が日本での採用を始めたばかりの頃ですね。東京大学の卒業生といえば、官僚になるか、大企業に就職する人が多かった時代に、あえて外資系の証券会社を就職先に選ばれたのはどうしてでしょう?
A それには、二つほど理由があります。まずは、今もお話したように、英語に関してコンプレックスがあったことです。実は、私は大学2年まで本州から出たことがなかったんです。2年の時、阿波踊りを見に行った徳島県が、本州以外の初めての土地でしたから。生まれて初めて海外旅行に行ったのは3年の時でした。その時はアメリカへ行ったのですが、英語がほとんど通じなかったんです。相手の言っていることが分からないだけではなく、自分の気持ちもまったく伝わらない。私はどちらかと言えば活発に自分の意見を述べる方だったので、自分が全然相手にされなかったのがとてもショックで、それから一ヶ月ぐらいはノイローゼのようになってしまいました。
「英語が話せないとプライベートでも、将来的には仕事の上でも、自分の世界が狭くなってしまう」と思い、帰国してすぐリスニングの教材を買ったのですが、もともと怠け者のところがあり、続きませんでした。そんな時、「そうか、それなら将来、米系の会社に就職すればいい」と思い付いたんです。その頃から、就職するならアメリカの会社にしようと考えていました。
もうひとつは、リスクを回避したいという気持ちです。外資系に就職したというと、「リスクをとった」と思われがちですが、私にとってはむしろリスクを回避するための決断でした。官僚の世界では、配属される部署によってどんな仕事をさせられるか分からないし、どんな上司に当たるかによって自分のキャリアに大きな影響が出るでしょう?それはたぶん大企業にいっても同じことです。コネがあって昇格できる人もいるでしょうし、仕事ができなくても上司に恵まれる人もいる──。しかし、こうした要素は不可抗力、つまり自分はコントロールできない部分です。だったら、実力勝負の方がリスクは低いのではないだろうか、と考えたわけです。外資系というのはよくも悪くも実力主義ですし、アメリカにはそもそもコネ社会という概念もないだろう、と。

Q しかし、ソロモン・ブラザーズ・アジア証券といえば、金融界では世界のトップクラスですよね。本当に英語ができなくて入社したんですか?
A そうなんです。だから最初は大変でしたよ。本当に全然分からないですから。最初は電話取りをやっていたのですが、証券会社ですから、ロンドン時間になると当然海外のお客様から電話が入ります。電話を取って、名前を聞くと相手は「チュア・リー」と名乗るんです。「先輩、チュア・リーさんから電話なんですけど、中国人ですかね?」と取り次ぐと、そんな人は知らないと。結局、その人は、「スチュワート・リード」と名前でした。今となっては笑い話ですが、当時はヒアリングが全然できないから、そんな区別もつかなかったんです。
入社後、数ヶ月して、ニューヨークへ研修に行きました。他の社員は4ヶ月間だけなのに、私は当時日本では新しかったデリバティブ(金融派生商品)の仕組みを学ぶために、10ヶ月間いました。帰国後、デリバティブのプロダクト・スペシャリストという新しい分野を任されました。その間は本当に一生懸命勉強しましたね。

Q でも、3年後にはソロモンから、これもまた名門と言われるゴールドマン・サックス証券に転職されていますね?3年というのは、外資系では転職の潮時なのでしょうか?
A いや、当時、東京銀行や野村證券といった日本の金融機関からゴールドマン・サックス証券へ転職する人はいましたが、日本の大学から新卒で入った外資系の金融機関からの転職という例は、マーケット部門では私が初めてということでした。ですから、相場というのもなく、お互いすべてが手探りの状態でした。自慢じゃないですが、外資系金融機関の転職では、パイオニアのようなものです。やはり2番手以降は楽なのではないでしょうか。野球で言えば、野茂がいたから、松井もイチローもアメリカのメジャーリーグに行けたわけで、最初の人はスタンダードを作るから大変です。

Q あえて転職に思い切った理由はあったんですか?
A ゴールドマン・サックスからはそれ以前からアプローチがありましたが、色々なことが重なって、「金融業界をやめて、ジャズ喫茶でもやろうか」と半分まじめに考えた時期がありました。しかし、「最初に就職した頃にはきちんと理由があって選んだ仕事なのだから、一箇所が合わなかったからといって辞めるのもよくない」、と思い直しました。それで、「辞めることにしたから、入れてくれる?」と連絡したら、そこからは2週間ぐらいで話がまとまりました。
Q そのゴールドマンでは、当時最年少でゼネラル・パートナーとなられたんですね。その陰では、並々ならぬ努力があったのでは?
A 苦労というか、ものすごく仕事はしましたよ。ストレスもあったのか、今よりもずっと不健康でしたね。まだ20代だったのに、人間ドッグをやってもひどい数値が出ていましたから、身体はボロボロの状態だったんでしょうね。

Q 松本さんがソロモンやゴールドマンにいらした80年代後半から90年代後半には、日本の金融業界はバブル経済、その崩壊を経て、失われた10年に突入する、激動の時代を経験しました。まさに怒涛の時代だった?
A いいえ、自分では怒涛の時代という認識はまるでありませんでしたね。目の前にあることこなすだけで精一杯で、後から振り返れば「バブルが崩壊していた」とか、「こんな事件が起こっていた」という背景はあったはずなのに、その頃はそういう視点は持ち合わせていませんでした。
Q それだけ苦労なされて、せっかくゼネラル・パートナーになられたのに、なぜ起業しようと思われたのですか?学ぶことはすべて吸収したということですか?
A 私がマネックスを立ち上げる1年半ぐらい前、つまり1997年3月末に、当時の橋本龍太郎内閣が「ビッグバンの要綱」を発表しました。その日は大雨が降っていて、「これで日本は変わる。金融人としての自分の人生も変わる」とすごく興奮したのを覚えています。
結果的には、証券化、不良債権処理、企業再生ビジネスなどが、そこから生まれて行きました。ただ、その頃は、ビッグバンは本当に来るかどうかわからない不確実なもので、外資系にはそういうものを自分からやろうという人はいません。やろうと言って実際に変化が起こらなかった時、自分の責任になってしまいますからね。それなら自分でやるしかないと思い、それまでやっていたトレーディングやデリバティブの仕事、つまりある程度確立していたビジネスを、部下に任せました。そして、私は「プロジェクト・ビッグバン」というものを立ち上げたのです。ただ単に金融機関の資産が膨張する時代が終わり、資産を圧縮したり、整理したり、そして金融機関が変貌していく時代が来る──。そういう流れに対応したビジネスを新しく創り始めなければいけないと想いがありました。マネックスを創る決断も、その脈絡の中で生まれたものです。
ただ、最初から起業しようと考えていたわけではありません。最初は「これから個人向けのオンライン証券取引の時代が必ずやって来るから、やりましょう」とゴールドマン・サックスに提言しましたが、それに対する回答がNOだったので、それなら自分で会社を作るしかないと。

Q しかし、その頃ゴールドマン・サックスはIPOを控えていたということですね?時期的に、起業はもう少し後にしよう、とは考えませんでしたか?すでにゼネラル・パートナーに上りつめていらしたのだから、そのまま残ればかなりの地位と名誉を手にできたはずですよね?
A その頃までには、自分もいくらか成長したのでしょうか、流されてやるのではなく、「金融人としての自分の人生を全うするにはやらなければならない」という使命感がありました。
起業という選択はかなりリスキーですが、でも考えようによっては、実は自分なりにリスクを回避したのかもしれませんね。「他にやりたいことがあるのに、収入や地位のためにやらないでいる」というのは、人間性というレベルではかなりのリスクですからね。
ただ、ゴールドマン・サックスでパートナーをやるというのは、かなりの量とレベルのトレーニングを受けることですから、業界のよいところも悪いところも見えてくるんですよ。結果としてその経験は、それなりに役に立っていますよね。

Q それから7年半、個人投資家向けのオンライン株式取引は日本でもすっかり定着しました。マネックス証券は常にその流れの先端を走ってきたわけで、この市場は自分たちが創ったという自負のようなものもおありでしょう?
A いや、たまたまよきライバルに恵まれ、お互いを刺激しあった結果、成長してきただけでしょう。オンライン証券の創業者というのはとても個性の強い人ばかりですから、厳しいけれどある意味楽しい競争でもありますね。松井証券の松井社長、楽天証券の国重会長、SBIイー・トレード証券の北尾会長、カブドットコムの斉藤会長などと切磋琢磨して競争をさせてもらった結果が、今のマネックスです。ただ、既存の証券会社にもネット・リテール金融全体にも、よい影響を与えることができた、という自負はありますよ。

Q 自分のキャリア形成を今振り返ってみた場合、こうなりたいという将来のビジョンはありましたか?そのために、努力したことは?
A ビジョンはなかったですね。皆無です。展望を意識するようになったのはごく最近のことです。最初はただ、英語ができるようになりたい、官僚社会や大企業というリスクを負いたくない、という気持ちから外資に飛び込み、がむしゃらに働き、たまたまチャンスがあって転職しただけで、特にそこに展望があったわけでもありません。ゴールドマンでもただ目の前のことをがむしゃらにやっていましたから、将来のことを考える暇もありませんでした。
将来のことは、マネックスを始める時になって初めて考えるようになりました。ただ、その時も「やらねばならない」という感じで経営者になってしまい、ビジョンは後からついてきたようなものでしたから、将来のプラニングをするようになったのは、ごく最近のことかもしれません。今は会社に対する責任もありますから、気をつけてプランニングするようにしています。
ただ、強いて言えば、いつも「自分にどれだけ力が付けられるか」は目標にしています。目標を立てる時は、「どこまで行こう」、「どんな風になろう」ではなく、今のスピードの1.5倍とか2倍で行けないだろうか、と考えるんです。今あることをどれだけきちんとやるか、今あることをどこまで広げられるか、というところに視点がある。
Q 外資系でキャリアアップをしたい人、これから外資系に転職したいという人に、松本さんのご経験からアドバイスするとすれば、どんなアドバイスがありますか?
A 私は人にアドバイスするのはあまり得意ではないのですが、敢えて言うとすれば、どんな時でも、上を見るべきということですね。日本企業では、みんな下を見る傾向があるでしょう?「俺はあいつよりもやっている」とか、「あいつよりも給料が高い」とか……。 アメリカの学生と日本の学生では、考え方がそれほど変わらないのに、アメリカの40代と日本の40代では、価値観に大きな開きがあります。日本には40代ともなると多くの人が下を見てしまうようになるような気がします。これは日米の差というより、日本の社会が人材をだめにしているせいではないかと思うんです。
自分より下にいる人と比べて、安心してしまうような考え方は、何も生みません。せっかく外資系に転職しても、同じ癖が出てしまう人がいるような気がしますね。「上を見よう」と言っても、別に「昇格しなさい」と言っているわけではありません。自分よりできる人を見つけてその人をまねるとか、常に一歩先を行く人をモデルにするとか、そういう意味です。そうすれば自然と、力が付いてくるものではないでしょうか。
Q それでは、セミナーの当日に、もっと詳しいお話が聞けるのを、楽しみにしております。よろしくお願いします。
多くの方々にご参加頂き、誠にありがとうございました。
